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シェービングサロン繁盛伝シリーズ

答えは現場にあり!
シェービングサロン繁盛伝シリーズ

※前例無き「新しい業態」と格闘した、大手理美容サロン営業企画時代の実録エピソード

寄せ集めの楼閣

エステティックサロン13種の集合体は、それだけでニュースである。
フェイシャル、ボディケア、ネイルアート、中国式マッサージ、死海スパ、ヘッドスパ、クリームバス、ストーンセラピー、まつ毛パーマ、歯のホワイトニングなど、バラエティ豊かなラインナップだ。
都心部の老舗百貨店が、周年事業の一環に女性客層の拡充を企図して放ったそれは、様々な思惑が交錯した。「世界各国の美のテーマパーク」を看板に、華々しくオープンしたのも束の間、フロア全体は早くから閑古鳥が鳴く有り様だった。
5番目の女性お顔剃り専門店は、そんな複合型施設のひとつのサロンとなった。そこに至る経緯は先の「美容室とのコラボレーション」以上に突発的。本来は他社の出店計画が頓挫して矢継ぎ早に巡ってきた話である。第4号店誕生から3ヵ月後、第5号店開幕のシナリオは青天の霹靂の如く手渡された。


百貨店の地上7階にある複合型施設は、売り場面積の半分近くを占有した。なにしろ「世界各国の美のテーマパーク」である。広告宣伝費は湯水のように使い、スケールがまるで違った。タイプの異なるエステティックサロンが13店舗あるのだ。オープニングから数ヶ月間のプロモーションは個人店舗の比ではない。その分、賃料他保証金などの契約に関わる費用も半端ではなかった。とにかく新規女性の集客には躍起になった。一サロンでは太刀打ちできない宣伝力で必ずや行列ができる、出店サロンはそのスケールメリットを信じた。
ところが、「華のあるエステ満載だから、さぁおいで」とするその趣旨に、世の女性はしらけてしまった。見てくれは良いけど中身がどうか、寄せ集めたエステティックに今ひとつ心動くものがなかった。13種類あっても一つひとつが見えないために、そっぽを向かれてしまったのだ。立地は一等地だが広域的な宣伝は完全に裏目に出た。
また、当時としては全館的に高齢者の「館色」が強かった。百貨店としては海外ブランド店の誘致も行い客層の若返りを狙ってのことだが、永年染み付いたイメージはそう簡単に払拭できない。併せて館路面1階やデパ地下の人だかりは上層階まで及ばず、来館者の回遊がままならないとあった。人様はいるのに何故に寄り付かない。出店サロンから不満の声が上がり始めた。


第5号店は姉妹店の中では大き目の個室4部屋で稼動ベッド計4台。場所も良くエレベーターを上りきった斜前にある。フロア全体のインフォメーション隣、いわばその施設の「顔」となる区画だった。早い段階で運営母体には依存しない自前の宣伝計画を敷いた。過去これまでに集積した「新規客確保」「取材誘発」「再来頻度増化」は、まさに百万の味方である。お顔剃り専門店ならではの営業企画で他社サロンとは一線を引く。現場の根底には、「エステに染まるものか」という信念があった。
エステティックを冠する複合型施設に出店の意思を固めた時点で、よもや内容勝負の世界に踏み込んだもの。「女性のためのシェービング」が決して侵されることなく並列的な扱いに陥らぬよう、文言やキャッチフレーズ一字一句にも気を配った。すぐに「シェービング・エステ」と括りたがるよそ様の物言いにも“活字シェービング”で防衛線を張る。“活字シェービング”とは最も気の利いた言質で「シェービングビューティ」を書き表す、いわば翻訳だ。目に触れる活字を凛々しく磨き上げるブレインオペレーション(知的作業)でもある。それを施すことがシェービングサロンの「勝てるマッチメイク」に繋がる。競争に巻き込まれない立ち位置はサロン自らの手で築くものだ。


ベッド1台あたり100万円の生産性は不可能ではない。4台あれば400万円は射程範囲だ。オープンから半年以内でベッド2台分をフル稼働させよう、売上200万円/月を当初の目標に据えた。それは3ヶ月も経たずクリアし、半年後には早くも300万円ラインを目前にした。『シェービング×日常使い』のスタンスによる広告宣伝で集客率は群を抜き、新規150名以上の女性客で賑わった。店舗規模に対して毎月300名超の来客実績は、売上とともに他社サロンの追随を許さず大きくリードした。
メインメニュー5,000円前後の程よい価格帯も受け入れられた。施設側が推奨する初回値引きや割引サービス路線、物販セールスもあえて後回しにした。施設全体のスケールメリットに頼らず、独立自尊たる指針を反映させたことで単独首位の座を射止めた。開業時期は晩秋の11月後半、むしろ冬である。当然「冬の凹み」を幾度も経験している分、見込みは下方予想であった。それなのに施設全体の客足が冷え込んでもシェービングサロンだけは違った。新規客が一番鈍る2月期には、全出店サロンかつ姉妹店の中で、最多の客数を獲得したのである。

都心部一等地の立地をバックボーンに「未体験のしっとりつるつる」というシェービングのオリジナルバリュー(独自価値)で波に乗った。「美のテーマパーク」13店舗にしてサロンの価値が一際輝いていた。
要するに“わかりやすかった”のだ。
「フェイスシェービング(顔剃りコース)約40分5,000円」、「ボディシェービング(襟足剃りコース)約30分4,000円」のレギュラー2点を金看板に、シンプルストレートの主従表示とした。前面には説明いらず“一点豪華主義”の法則性に倣った。ある程度『日常使い』の集客ペースが掴めた段階で、ブライダル客層の『特別使い』にも順当に力を注いだ。客単価は安定し新規客とリピーターのバランスも取れ始め、売上増加で益々意気揚々だった。だが、知らぬところで事態は深刻さを増していた。


施設全体では歳時記に合わせ『○○キャンペーン』が連発した。個店の事情とは無関係に、クリスマス、バレンタイン、卒業入学、フレッシャーズ、母の日、カップルサービス、およそ思い当たる行事すべてに施策した。次から次へと何らかに便乗する百貨店商戦は、避けられぬ「お約束」だった。にもかかわらず全体的な売上効果は薄く、依然としてフロアの集客もまばら。運営母体の販促は決め手に欠き、開業3ヶ月を過ぎても、ひと月の売上が物販含め100万円満たないサロンが続出した。完全な赤字である。大々的に掲げる「夜10時まで営業」の利便性も、集客難とあっては両刃の剣となり売上対人件費の面で重くのしかかった。効果的な打開策は見えず錯綜した。
定例のオーナー会で発表される全サロンの売上推移が痛々しい実状を物語っていた。なぜシェービングサロンだけに客が集中し、他はそうでないのか。ひとつは経験による自力集客の差があった。「たまたま」その場にいる客を相手取るのか、「わざわざ」サロンに来る客を創るのか、考え方の相違だ。来店動機に据えたいのは「価格」か「価値」か、戦略の本質が取り組む姿勢に現れる。

加えて、計画宣伝の差。自助努力による宣伝は不可避だ。サロンの価値を「伝える手段」には常に向き合っていなければならない。本来そのための方法論は打つ手無限のはずだ。しかしそれは広告一辺倒ではない。闇雲に媒体広告を打つ癖はリスクを伴う。計画性を持たない出稿内容では、すぐさま値引き合戦に走ってしまうからだ。そもそも施設の販促は年間予定すら知らされず事後報告で処理されていた。熱の入れようが現場サロンには伝わってこない。フロア全体に横串的な一体感は無く、どこか他人行儀の間柄だ。プロデュースする側もそれぞれ個店の「強み」を戦略的視点からは掌握しておらず、ただ「13種類」という品目だけの、「美のテーマパーク」という外箱だけの訴求だった。


程なくして撤退を余儀なくされたサロンが出た。開業半年未満で3件続いた。入れ替え出店をしても即座にギブアップするケースもあった。売上計画は予測を大幅に下回ったため、弱小店舗の運転資金は枯渇し、資金力においても差がついた。
これがエステティックサロンの実態なのだ。
誇張と見栄が先走り、表層的な広告宣伝に依存し、客集めに翻弄され、出しては消え、消えては出す厳しい消耗戦。サロンサービスの違いも不明瞭で疑義が残る。何が特長で、何が得られるのか「価値」がわかりづらい。もはやエステでは勝てないことを証明しており、寄せ集めの脆弱さが露呈した。
そして一大事は起きた。
施設を運営する母体会社が2009年6月、経営破綻したのである。こんなにも早く息が上がったのには理由がある。都内臨海部に進出する、もうひとつの同系列施設が立ち行かず、その煽りを受けた果ての倒産だった。オープンからたった半年で経営権を別会社に譲渡する運びとなった。


美容事業を手がける大手企業が後釜に就いた。「だまされた」と捨て台詞を吐くオーナーもいた。臨海部に出店したサロンは、売上から保証金まで全て手元に戻らない事態となったためだ。気の毒な話だが、民事再生手続きは粛々と行われ、都心部の「美のテーマパーク」に入るサロンは契約上の名義が変わっただけで損害は出なかった。プロデュース全般の陣頭指揮を執っていた役員は退陣し、新たなメンバーが登壇した。サロンは閉鎖することなく通常通り営業を続行する。お客様に見える部分では何も変わらずに済んだのは、不幸中の幸いだった。
「美容室とのコラボレーション」と「美のテーマパーク出店」のふたつのカード。本業の直営サロンを長らく営んできた社風からは、およそ導かれない発想だ。発端はたとえイレギュラーであっても、それをものにするか否かは培った経営力がものを言う。ある意味では、これまでの社業世襲による「鎖国」から、企業態勢としての「開国」をどのように捉えるか、時が突きつけたのだ。組織としての機敏さ、事業としての面白み、業態としての躍進を。そして“シェービング専門店ビジネス”の未来予想図を描く機会までも。横への拡がりがもたらしたものは、店舗然とする思考から、事業創造への意識変革だった。直面する課題を突破する力、まさに企業の力量が試されていたのである。


1999年に産声を上げた「女性お顔剃り専門店」は、この時点で全4店舗となり、2009年で生誕10年を迎えた。業態の成長曲線を振り返ると4年周期で上昇傾向にあった。2000年の女性誌掲載で「集客」に火がつき、2004年の取材ラッシュとブライダルで「売上」が一気に跳ね上がり、2008年の2店舗同発出店で「業態」が拡がった。奇しくもオリンピックイヤーに好転する節目が訪れていた。この10年で「顔剃りしたい女性たち」は確実にいることがわかった。それは「女性お顔剃り専門店」の求心力によって開花した、新しい市場である。
業態の実績はサロンの売上ベースで月商800万円、年間9,000万円超。専門店ビジネスの潜在需要の大きさが垣間見える。そして何よりも、「施術としてのシェービング」以上に、「習慣としてのシェービング」の価値観をエンドユーザーに浸透させる“美の喚起”も不可欠になろう。女性消費者目線で「シェービング」の裾野を広げ、今以上に身近なものにするには、女性層ダイレクトの仕掛けや啓蒙活動に結びつく。「キレイに毛を剃る」ことが「なくてはならない美のスタンダード」に。

それをひと言で称して『シェーブアップ』。
女性への波及無くして、専門店の普及無し。逆また真なり。サロンの営業企画を経て、この先10年の計があった。

吉田昌央著:
『シェービングビューティ~だったら剃るな、でも剃るよ~』文芸社より抜粋

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