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シェービングサロン繁盛伝シリーズ

答えは現場にあり!
シェービングサロン繁盛伝シリーズ

※前例無き「新しい業態」と格闘した、大手理美容サロン営業企画時代の実録エピソード

事業センス

「美容室とのコラボレーション」の話は突発的だった。
都内激戦区にある有力美容室と手を組み、その一室に間借りする特殊な事情。サロンに該当する場所は約5坪程度、小さいながら良好な居抜き物件だ。契約条件の折り合いがついてから、わずか1ヶ月足らずのスピード出店であった。美容室とシェービングサロンの経営は別個。営業品目の異なる「髪と肌」互いの持ち味を出し合えば、女性のお客様同士の行き来があるものと期待した。


初めての「女性お顔剃り専門店」から数えると通算で第4号店目にあたる。初号店は既存理容室のVIPルームを改良したサロン。その出店は有効活用型で実験的だった。(都市再開発のため現在は閉鎖)続く2号店は大型商業施設内に構え、初号店を発展させた「理容室+シェービングサロン」王道の併設型となった。
次なる3号店目にして都心部で初の1店舗独立型を採用した。単独出店にあたっては初号店の閉鎖に伴う受け入れを兼ねた。また、隣接する理容室で女性客に対応した個室営業の下地もあり、すでに顔剃り固定客を抱えていたことが幸いした。単独出店は初月から人気を呼び、出足も良く好感触だった。
他社店舗間の協業型とも呼ぶ4号店は「美容室+シェービングサロン」。女性客にとってはある種の理想形だろう。他社ゆえに美容との組み合わせも、やり様によっては新鮮だ。かつてグループサロン内でも俎上にあがった「美容室併設」のキーワードは、経年の後に現実のものとした。さらにその年は老舗百貨店の複合型施設への進出が急遽決まり、後の第5号店を生んだ。シェービングサロンは2008年夏と秋、続け様に店舗増となった。


結果として、第4号店は一年半の短命に終わる。
姉妹店に吸収合併する形で2010年3月に撤退した。サロンの業績は、稼動ベッド2台で月平均120万円の売上、約150名の来客数。単月最盛期ではスタッフ2名で170万円を売り上げたが、ブライダル高比率とあって売上推移の落差も激しく、当初目標の200万円ラインにあと一歩及ばなかった。収支上、経費過多となり他を圧迫したのも痛手だった。
時同じく百貨店入居する5号店が猛追し、人手やシフトを含め営業体制の強化が必至となっては、4号店の店舗撤退は選択と集中による賢明な判断であった。外圧的な力関係も働いた「2店舗同発」を振り返ると、その計画性はやはり、棚ボタ出店の泥縄戦略の感は否めない。今にして思えば、さながら“できちゃった出店”であったろう。トップマネジメントの事とは言え、同時期のダブル出店は、片方がダメでももう片方が好調な伸びを見せたためその受け皿となった。なんとも皮肉な結果オーライである。無茶した横への拡がりは、その割には強運を引き当てる格好となった。


他社美容室と組む「事業モデル」には、ひとつの可能性を持っていた。相手側資本の下での業務請負となるためコストを抑えた店舗拡大が図れる点だ。相手側にしてみれば、技術競合も少なく優位性の高い「シェービング」を武器に、新規の女性集客と部門売上の増加が見込める。理容と美容のタッグが織り成せる技でもあった。

サロンに所属する美容師をモデルにシェービングのデモストを行った時のこと。彼らの目つきが確かに変わった。同じ業界の技術者であるが、これまで己の持ち得ない技術を目の当たりにしたのである。それも女性技術者による「女性のためのシェービング」は未知との遭遇だ。「髪と肌」、同じ美を提供するプロでありながら、美容師のほとんどが理容師のシェービングは未体験だった。驚きと感動の実感想をそのままヘアスタイリングに通うお客様に伝えるだけでいい、そう懇願して協力を仰いだ。美容室からの紹介客を見越してのことである。その美容室には月間1,000名以上が来客する。トップスタイリストはサロン業務の他にもTVや雑誌に活躍の場を広げていた。美容師をキーパーソンに紹介客を少なくとも月5%は想定した。

しかし、残念ながらその読みは外れた。女性客の集う美容室で「お顔剃り」ができる、口々に共感はとれても、美容室の女性客にそのイメージが湧かなかった。習慣も無ければ必要も無い、それが「お客様の声」なれば仕方あるまい。一から集客する必要に迫られた。


間借りする店舗の性質上、店頭集客や看板設置の「地上戦」には制約が生じた。洒落た建物3階奥に位置するサロンの「場所」自体もネックとなった。積極的に仕掛けたのは、プレスリリース、フリー誌媒体、ネット掲載などの「空中戦」である。場所柄、高級感溢れるイメージが、雑誌メディアの取材対象となり話題を呼ぶ。周辺の店舗や事務所に訪問営業する「白兵戦」も実施した。
だが、サロンの情報発信を能動的かつ常時持続させないことには、客数増の勝機は無かった。紹介客は先行かず、路面店やテナント店でもない立地状況を考えるとこのハンデは大きい。
集客面では姉妹店中、一番の広告宣伝費を投下した。宣伝・販促費の売上比は15%を超え、内部からも「最小の店舗が最大の経費」を使途する点に疑問符が付いた。元々人集めに金をかける風土ではない。費用対効果すぐ効き目が得られぬものへの風当たりは強まった。

習慣無き女性客を相手取るには手間がかかる、ならば高級感を謳い独自に女性客を集めればいい、経費はかけるが成果を出せと。
協業型サロンにしては、通常出店と何ら大差のない戦況が続いた。喜んだのは美容室。
事業展開には一日の長があった。空きスペースの家賃収入、部門増収による売上高の伸長、新規来店客の増加など、すべて母体にもカウントされる。シェービングサロンとしては決して満足の行く数字ではなかったものの、相対的に美容室の価値が高まったのだ。
「制約の多い場所ながらシェービングでこれほど客を呼べるとは」、美容室オーナーの声である。販促費負担がなく増客増収となれば当然だ。コラボレーションのメリットは開く一方だった。


低調な売上を前に、メニュー云々で注文が付いた。
サロン設備にはシャワー室もある、だから全身ケアはどうか、ネイルも取り入れたらどうか、シェービングにこだわらないケア中心のメニュー化はどうか、どれもが場当たり的な論調である。

現場以外の外野が発する、現場主導を振りかざした無計画な願望にしか映らなかった。
こうなると「客層の圧倒的大多数は何を支持しているのか」、大局を見落としてしまい小手先の弥縫策に終始する。}
己を知るよりも他者に目が奪われ、他事が良く見えてしまったり、意思決定が感覚的に陥るなど軸無し体質と化す。
先手打つ意義ある変容は歓迎すべきだが、眼前の“対処療法”から抜け出ない限り、サロン戦略は一貫性を失う。どこを目指すのか、羅針盤となるマネジメントの精度が問われていた。

されど「美容室+シェービングサロン」。
異文化同士の「現場協業」に秘めるポテンシャルは、その意識が『店舗の付き合い』と『事業体の結びつき』では見える景色が違う。後者のビジョンがより鮮明でなければ、只単に「いい場所に出店できた」だけで終わる。有力美容室とのコラボレーションの着想は善くとも、半ば「店ありき」の唐突な拡大路線に何かが欠けていた。それは常日頃の“事業センス”であった。
開店一年後に実施した店舗限定プレミアムメニューの高単価路線には、ご当地らしい「醸し出す気品」があった。準備途中で棚上げしたサロンのプライベート活用もまた、「新しいサービス力」を形作るものだった。あるいは外部美容室への講師活動や店舗指導など、コンテンツパッケージによる「事業化の機会」も然り。女性のお顔剃り専門店に資する「富の蓄積」を窺わせたが、社内の感度は鈍かった。
だが翻って、この時期の多店舗展開が業態として“年商1億円の試金石”となったことも事実である。4号店の盛衰は次代にその糧を託した。

吉田昌央著:
『シェービングビューティ~だったら剃るな、でも剃るよ~』文芸社より抜粋

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