ビジネスコラム|シェービングビューティ

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シェービングサロン繁盛伝シリーズ

群れるより突き抜けろ!

あなたのサロンは「レディースシェービングで売上を伸ばす意思」はあるか。
おそらく「一応は」と、お答えになるだろう。
貴店なりのやり方でこれまで取り組んできた自負があってのこと。確かに「レディースシェービング」でサロンの売上は「一応は」伸びる。
だかその前に「ハサミを置いて」とついたらどうか。
あなたのサロンは「ハサミを置いて」でも「レディースシェービングで売上を伸ばす意思」はあるだろうか。

今や業界内では「レディースシェービング」が通例化している。
全国の7割近いサロンがメニュー化を図り女性客獲得に躍起だ。メーカー・ディーラーなどの関係各社もまた専用の商材を開発し、普及のための講習会を設け、販売促進や営業指導にも注力する。直近10年来「レディースシェービング」が業界内の大きなムーブメントである事実は誰もが認めている。
ではそれに比してマーケット全体の反応はどうだろうか。
美のカテゴリーとしての「シェービング」はそのレスポンスが極めて鈍い。
瞬く間に多くの女性層を開拓した「ネイル」や「まつ毛エクステ」など、ふり幅の大きい女性美のマーケットに「シェービング」は未だ日の目を見ない。
なぜだろう、このギャップ。
多くのサロンが、多くの女性理容師が、一所懸命に取り組んでいる割には、世の中に「知られていない」「伝わらない」「ピンとこない」。
いわばアンノウン(未知なるモノ)の枠から脱し切れていない現実は、統計上一サロンあたりの「レディースシェービング」売上構成比5.4%、平均売上28,000円/月、という数値が物語る通り、実態は低売上であり稼げていない。
サロン売上の低さはお客様からの支持率の低さとも言い換えられる。

理容業界の悪い癖

理容業界には特有の悪い癖がある。
それは「群れる」ことだ。
今や全国にネットワークを持つ技術者の会、技術講習会や有志の会、組合関連行事に支部講習、休みの日を利用して集まる勉強会、情報交換会と称した親睦など、各地によくある。同業者との適度な情報交換はいいが、必要以上の馴れ合いはいらない。今の時代「お勉強」止まりになりがちな「ぬるい集まり」はハッキリ言って時間のロスだ。
あえて申し上げたい。
今さら技術を勉強してどうするのか。仲間内のサロン同士の情報交換をしたところで何が得られるのか。無償の技術講習に三々五々集まったところで本気で取り組む意思があるのか。それらは売上に繋がっているのか。
「別に売上はいいのよ。趣味の範囲でやってるから」とよく耳にする。
そもそもこの向上心の無さが経営を骨抜きにする最大の理由なのだ。
個々でお話をする限りでは、皆前向きで、正直者で、人情味あふれる方々だ。サロンに関わる技術者は本当にみんないい人たちだ。いい人だから情がわき、いい人だから数値そっちのけで情に流される。
いい人たちが群れると経営的には危険である。
感情で判断することが増えるからだ。
だからいい人たちが陥る「価値意識の低さ」には危機感を覚える。
唯一無二のシェービング技術を持ちながら、総合料金に自縄自縛してその価値を価格に反映させられない。今のサロンに女性客が寄り付かないのも、レディースシェービングの売上が伸び悩むのも、世の女性客の声を置き去りにして経営者の都合が勝ってしまい徹底した追求を疎かにするのが理由である。踏み込みの甘い経営体質がそこにある。
どこかで「ヘアサロン」の隠れ蓑に逃げこむ風土が、そこまで本気でやらなくても済むという惰性を生み「別に売上はいいのよ」という台詞を吐かせてしまう。本気を出す前にやらない理由を作ってしまう。つまり上りきってもいないのに自ら下り坂をたどっているのと同じだ。
横一線で群れて甘んじるサロンはいわば“仲良しクラブ”と化しているだけだ。

またハサミに固執してカットスタイリングの延長線上で副次的に扱う姿勢も、レディースシェービングを埋没させる、結果の伴わない攻め方だ。エステやリラクゼーションの分野に傾倒する横方向への広がりも同様に、マーケティングの観点からシェービングを主体的に捉えておらず極めて技術者の嗜好が強すぎる商習慣そのものである。

辛辣な見方だが、マネジメントのポテンシャルが低い者同士の集まりではその思考回路が内向きとなり、いつまでたっても革新できない。この先レディースシェービングといえども頭ひとつ抜きん出る事業戦略を自主的に持たなければ繁栄は無いも同然である。
もう卒業しませんか、群れることによる価値意識の低さから。

「レディースシェービングで売上を伸ばす意思」をお持ちの方々、以下について真剣に考えていただきたい。

  • ◆ レディースシェービングで売上が伸ばせない真の理由は何か。
  • ◆ シェービングで魅力的なメニュー化が図れない頭の固さは捨てられるか。
  • ◆ 料金は上げたいが、低料金で悩むジレンマを切り返せるか。
  • ◆ 女性受けしない理由を直視できるか。
  • ◆ 『ビューティーフェイス』が客受けするのをよそに「技術的には勝ってるから安心」
      「自店には関係ないこと」と内心思っていないか。
  • ◆ カットスタイリングと同系列で扱わなくてはならない理由があるのか。
  • ◆ 結果の出ないことにいつまでも固執するのは気持ちの問題ではないのか。
  • ◆ 考え方を変えようとしない意地は経営的に優れているというのか。
  • ◆ 「お勉強」ばっかりして売上は伸びるのか。
  • ◆ 宣伝しなくても店があれば客は来るものだと錯覚していないか。
  • ◆ 折込チラシ、ネット掲載など有効な広告宣伝は必要経費として捉えられるか。
  • ◆ 経営改善するのに組合行政の顔色を伺う道理はあるのか。
  • ◆ 理容師のなり手が不足するのは今の理容師に魅力がないからだと思えるか。
  • ◆ シェービングをメインにせずして理容産業が女性美に主張できるのか。
  • ◆ エステに走って魅力的な改善が果たせるのか。

女性集客に悩むサロンは、新規客は欲しいけど広告宣伝など経費のかかることには消極的だ。たとえ広告を打ったとしても単発的で計画性に乏しく長続きしない。どうなりたいのかという明確なビジョンが無いままだから何をやっても上手くいかない。そのくせエステ機器や化粧品の新商品には費用をつぎ込む。経費のかけどころが情報化時代の潮流を読まず、頑なに“今まで通り”の踏襲となっている。
そこそこの売上で頭打ちとなる現実は何を物語るのか、今こそ鋭く読み解かねばならない。前述の「一応はある」売上アップの意思に見え隠れするのは「そこそこでも許容」という妥協に他ならない。
お顔剃り部門は「好きなようにやって好きなような売上で善し」「好きでやっている者同志が集まって仲間内で褒め合う」「やらないよりやってる方が得」「やりやすいようにやって得した」「昔からやってたら儲かった」程度の売上増、これがハサミを楯にした覚悟無きレディースシェービングの実情なのだ。

群れるより突き抜ける。突き抜けるサロンを創る。突き抜ける理容師を輩出する。
旧態には染まらず、新たな業態像を描ける高い意志力を持ったシェービングビューティースペシャリストを育て創出する。
そうしないと理容師はなんら変わらない。
変わらないのは職業としての魅力であり、社会的位置であり、所得であり、儲かるサロンの仕組みであり、プロの意識である。
今から申し上げることは私が師から機会を与えられ、私自身が実践し、そして多様なサロン現場と格闘の末に学び取ったことである。これらを総じてシェービングビューティ伝道家・吉田昌央自身の言葉で綴るとこうなる。

今のままの理容室はいずれ滅ぶ。
だからヘアサロンから脱却し、エステティックサロンとの決別を宣言する。
いち早くシェービングビューティーを主軸とする経営方針に切り替える。
そうすれば確実に売上は伸ばせ、新たな業態に革新する。
価値あるサロンにこそ、価値ある技を持つ理容師にこそ、マーケットはなびく。

理容師よ、群れている場合ではない。

レディースシェービングの売上アップの本質について「ものにする」考え方へと今一度改めよ。

もし「業界全てのサロンが直営」で、そのトップだったら何に着手するか。
ひと月の売上が10万円そこそこだったり、ヘアサロン全体の売上の3割にも満たないレディースシェービングはそのシステムからしておかしい。
大局的観点で自店経営の脆弱さを真っ先に疑うべきである。
これは技術や接客などサービス内容の話ではなく、小手先の販促論でどうこうする次元でもない。もはや仕組みとして稼げていないし、儲かっていないのだ。
女性のためのシェービングが女性美の最たるアドバンテージとして、理容究極の新しいサロンサービスとして、概念を一新させる。その新たな概念とは何か提示する。

業界全体の宣伝方針は「理容室のPRと抱き合わせたレディースシェービング」である。
一見正しいように見えるこの策は、残念ながら「女性客目線」によるマーケティングが欠落している。
「女性お顔剃りの新規集客」を題材にする研究会も決まって世に発信するPRの切り口は旧来のパターンのまま。無意識の内に業界の独善的な訴求傾向となり横一線で新鮮味が全くない。使い古しの戦略観で集客誘導しても女性は動かないと思った方がいい。
客足が伸び悩むマーケティングの核心的な理由は「理容」というキーワードを捨てず、戦略的に「理容」を変容させず、只々画一的に用いるからだ。

「理容店のお顔剃り」→「理容師にしかできない技術」→「レディースシェービング」

必ず「理容室」が前に来る。
「理容店のお顔剃りは安心」「レディースシェービングはお近くの理容店まで」となる。
そもそもこれがボタンの掛け違い。

「理容室ありき」の宣伝文句は業界都合の最たるもの。ことさらに強調される「理容室」には一般的に従来サービスの男性色がつきまとう。
いくら「女性理容師が施術します」といっても弁明にしか映らない。よく考えるとその一文自体が、男性サービスの上に立脚した注釈然としていないか。既存サロンの店構えからして「来たらやってあげる」店都合のサービス様式であって、「男性サービスの延長線上にある女性のお顔剃り」→「男性中心の店には入りづらい」となるのが女性客の自然な感覚であろう。

とある女性向けサロンサイトに「組合店をご利用ください※」などと業界事情の説明文を見受けたが普通は何のことだかわからない。こんな情報は要らない。(※それなら「Sマーク」の有効活用を推す。載せ方の問題だ。)

「理容室」を前に出すと業界都合が優り、世間が抱く、古臭い・ださい・カッコ悪い・オジさんが集まるところなど“負のイメージ”を引き寄せてしまう。
図らずも「イケてないもの」というレッテルが貼られてしまうのだ。
これまでの「理容室」のイメージを払拭しないままで果たして多くの女性が「理容室に行ってみたい」となるだろうか。
ならば「理容室」と謳わない方がいい。
「理容室」を戦略的にオミットし、「理容室」自体の新たなパッケージ化を提言する。
この着想は「サロン内サロン」と呼び、施術空間そのものに“シェービングアトリエ”“シェービングルーム”“シェービングステーション”と冠して別個独自の人格を付与するものだ。
「毎日のメイクが引き立つシェービングビューティー」
「透明感ある素肌へ魅惑のしっとりつるつる」
「未体験のすべすべ肌色ワントーンアップ」
狙いは、女性訴求の器足りえるサロン戦略を第一義に考え、結果として理容室ならではのサービスに帰結させる。ヘアサロン部門とは完全にセパレートして“語らずに得る”その変容性が奏功の鍵だ。

さらに「国家資格を持つ理容師」「理容師にしかできない技術」というように「理容師」も目立つキーワードだ。確かに有資格者の施術サービスは当然でありシェービングサービスの唯一性には欠かせない。
でも、しかし、である。
これまた「理容師」が前に出すぎると一切の説明が「技術者目線」で語られがちだ。
「プロの手に馴染むレザーが」「理容師ならではのテクニック」技術者寄りの視点で発せられるこれらのフレーズは、少々顧客よりの味付けが欲しい。「プロの手に馴染む~」点を自慢するよりもこの場合は「女性の素肌に馴染む~」点を伝えるべきではないか。
また「法的に許されるのは理容師だけ」と、エステティックサロンで横行するソフトシェービングをも牽制してか、強すぎる特権意識が鼻につく。女性のためのシェービングサービスをサロンの看板に掲げた時点で、本来であれば有資格者の施術は言うまでもあるまい。
法の一線があるにせよ創意工夫なき既得権の主張を繰り返していれば、いずれ世の中のスピードについていけなくなる。変化を嫌う体質となり、表層的に他者を批判し、大きな商機をみすみす逃す事にもつながる。
女性集客において理容師優位のポジションが、翻って理容師自身の仇となってはいないだろうか。
シェービンクを希望する女性客層にとって理容師が一番訴えなければならないのは「資格を持つ理容師の存在」よりも、もっと純粋に「女性お顔剃りのスペシャリスト」であるという、「女性美に寄与するシェービング」その一点に特化した専任者の新しい称号である。

「理容師」のままでいたら宝の持ち腐れ。

だから“美剃師シェイヴィスト”を固有の称号として名乗れ。
ヘアスタイリストが前に付いたらついで扱いの存在となり、エステティシャンではせっかくの唯一性が失われる。ネイリスト、アイリスト、ケアリスト、スパニスト、フェイシャリスト、今や「言った分だけ専門家」のご時勢だ。
しかし、理容師のポテンシャルは国家資格に裏打ちされた信頼がある。
焦点を絞り智的に武装すれば価値はより高まる。
シェービングキャリアに応じ各人が名刺の肩書きに使うもよし、養成施設には次代を担う新職種“シェイヴィスト学科”を創設してもいい、“美剃師検定”と銘打ちプロの知識を競うのもいい。この称号は“シェービングアトリエ”“シェービングルーム”“シェービングステーション”の営業拠点と併用して、広く、多くの理容師が使うことで浸透するだろう。

そしてもうひとつ「レディースシェービング」という言葉が古い。
業界ナイズされた出来上がっている言葉である。
インターネットで「レディースシェービング」と検索する女性はまずいない。そのほとんどが「ムダ毛の処理」程度の単語で入力する。この点にも業界とマーケット意識にギャップがある。
これらのズレを元に概念としてのシェービングを考えてみる。
元来シェービングとは男の髭剃りを表すもので男性用語に近い。頭に「レディース」が付いたところで単なる毒消しに過ぎず、いわば解説用語だ。「剃る」をひらがなで「お顔そり」なら女性受けしやすいと考える現場もあるが、商品名や概念を表す単語としては言葉の魅力に乏しく、範囲が限定的である。悪くはないが伸びがない。
また女性の日常生活でのシェービングといえば手足のムダ毛処理の方が主流。市販シェーバーを使ってお家で処理するという認識である。圧倒的なボディシェービングの常用然り、女性のためのシェービングとは広義で捉えると、何もサロンの施術に限ったことではないと気がつく。理容師は技術一辺倒の縮図から「シェービングの愉しさと悦び」を世の女性に積極的に啓蒙すべきだ。

外食産業のシェフたちが家庭レシピを惜しみなく披露するのと同様、サロン施術の叡智をセルフシェービングのアドバイスに相互活用する。より多くの女性層に支持されるためにも「女子シェーブの習慣」を新しい価値観で刷り込む。理容師のビジネスセンスは女性美のアドバイザーたる観点を発展的に描かねば現状を突破できない。だからこそ習慣に溶け込み、習慣そのものを表す「ひと言」が欲しい。
もう「レディースシェービング」とは表記してはいけない。
女性の日常にある「習慣としてのシェービング」を総じて“シェーブアップ”と新たに定義して呼称する。
「誰も教えてくれなかった美剃り習慣“シェーブアップ”でのんびリッチ!」
「美肌指南“シェーブアッフ”あなたはキレイで正しいお顔剃りしてますか?」
「お家でカンタン“シェーブアップ♪”」。
理容技術に内包する無形の価値観を意図的に言語化してこそ、シェービングの施術サービスに哲学が生まれ、主体性が極まるのだ。

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